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『DCブーム』から『アメカジブーム』へ
“ファッションの遷り変り”なんて書きだすとなんだか評論家みたいですが自分が過ごしてきた時代のファッションについて少し書きます。
1983?1984年頃だったと思うけど(当時は中学生だった)いきなり『DCブーム』ってのが襲ってきた。
『DCブーム』ってのは「メンズビギ」「パッゾ」「コムサデモード」なんかを中心としたいわゆる国産デザイナーズ・ブランドと「セラーズ」や「ピンクハウス」「パーソンズ」なんかのキャラクターズ・ブランドこれで『デザナーズ(D)、&キャラクターズ(C)ブーム』と呼ばれていて86年に【メンズノンノ】が創刊される頃にピークを迎えたと思います。
その当時の大学生は皆オーバーサイズのソフトスーツにツーブロック、ワイドパンツにコインローファー
女性はワンレン、ボディコン、ソバージュの時代。
そして80年代の終わり頃の1988年に「アメカジブーム」が一気に浸透し、今までの「DCブーム」は急速に衰退していった。なぜ急にヨーロピアンカジュアル全盛のファッションの流行がアメリカンカジュアルに飲み込まれてしまったのか?それは今まで流行を創ってきた世代が大学生から高校生へ取って代わったのも大きな要因の一つかもしれない。
その頃のアメカジファッションの代表的なコーディネートはラルフローレンのチノパンにボタンダウンシャツ、これに紺色のブレザー(いわゆるコンブレ)足元はティンバーランドのモカシンとアメリカ東海岸のプレッピースタイルが主流だった。
そしてこれ以降、若者の遊び場が六本木から渋谷へと移っていくと当時高感度だった若者たちが渋谷のセンター街に集まってくるようになりファッションも東海岸の「プレッピースタイルのアメカジ」からロックマウントのウエスタンシャツにリーバイス517、レッドウイングのエンジニアブーツを履いてゴローズのアクセサリーでキメるといった「ハードなスタイルのアメカジ」へと日本独自の変化をとげた。1989年頃になるとこのスタイルが「渋カジ」と呼ばれるようになり「チーム」と呼ばれる付属/私立高校生による学校単位の組織の様な物が出来始め、そこに属す彼らを『チーマー』と呼び全く新しい今までに無い文化が生まれた。
ここまでが「渋カジ」の誕生までの話で「渋カジ」とはなんだったのか?は、また機会があったら書くかもしれません。
Tools-infinity Director 久木田善隆